この地は江戸期には佐伯文庫で世に光彩を放ち、四教堂は学問の府として城下の多くの子弟の才能を拓いた。その精神を引き継いだ先覚者達は多才な文人墨客をこの地に呼び寄せた。その足跡を辿り心豊かなる時の流れに暫し身を委ねてみるのもいいものだ。
国木田独歩は佐伯をこよなく愛し、僅かな滞在期間にも関わらず佐伯地方を隈なく逍遥した。ワーズワースを信奉した独歩にとっての湖水地方(ワーズワースが終生を過ごし詩作を練った地)がまさに佐伯地方であった。
「佐伯地方は予期したよりいいところでした」(山頭火)