大友宗麟の墓は晩年を過ごし亡くなった津久見にはない。墓を暴かれることを恐れた家臣七名が密かに墓石と仏像を佐伯地方に持ち去り墓所を定め菩提した。天徳寺である。新たに入封した毛利高政に宗麟の墓を守る家臣は海岸地方に退去させられたが今もその末裔達が檀家として残る(仏教徒にもかかわらず魚を奉納する不思議)。宗麟が正親町天皇から下賜された扁額もここに残っているとのことである。 大友宗麟の墓であるや否や、歴史事実として検証してみる必要があるように思う。先輩たちはリーフデ号の佐伯湾漂着を自ら検証したのであるから。