リーフデ号奪還プロジェクト

  ウィリアムズアダムス(三浦按針)一行を乗せたオランダ船リーフデ号はオランダを5隻の僚船と出航しマゼラン海峡を回りチリ沿岸のセントマリア島に停泊。ここにおいて豊後を目指すことを決定、はるばる太平洋を渡り佐伯湾に初投錨した。オランダ船として日本への初到来である。漂着したのではない。黒潮に乗り西方海上に日本を発見し力尽きる寸前、その一日後のことである。祖先たちはその漂着(来着)の記憶を地名に残し後世に伝えている。 

関係者の検証結果、リーフデ号は大入島沖の唐船ハエに投錨したと推測している。

佐伯湾には外国船(=唐船)の漂着を示す多くの痕跡が今も地名に残る。

先輩諸氏は実際にリーフデ号の漂着実験(無動力船での漂流実証)を重ね、歴史誤認されてしまった臼杵湾への漂着ではなく、確かに佐伯湾に漂着したであろうことを証明した。

漂着実験による証明に加え、リーフデ号の船尾に取り付けられていた航海安全の為のエラスムス像が栃木県佐野市の龍江院に収められた。その時に佐伯湾への漂着が伝承されている。こちらは第三者による傍証である。エラスムス像はオランダ最古の木彫として重文として国立博物館に保管されている。

リーフデ号の漂着記録。

リーフデ号実証実験データ。佐伯湾に漂着したことが証明された。