切支丹遺跡発掘プロジェクト

  佐伯地方に隣接する野津地方はかつて日本でも最大の切支丹地であった。多くの宣教師が滞在し、その影響で佐伯地方にも切支丹の痕跡や遺跡が残っている。江戸期の徹底した切支丹弾圧に伴いそれも山河に埋もれるに任せ次第に痕跡を辿るのが困難になりつつある。

宇目地区に残るルイサの墓。

ルイサの墓。

豊薩戦での島津勢の蹂躙前までは大友氏の庇護下、豊後地方は切支丹の主要施設が置かれ司祭・修道士数は34名に達していた。

佐伯地方の切支丹史跡一覧図、赤線は野津地方からのキリシタンの流入路(推測)。

佐伯地方の切支丹遺跡と痕跡。

豊後及び佐伯地方における切支丹の動向。